『ああ、黒が滲む』
そう映っていた。
「あの人は危ない気がするよ。大丈夫?」
「あの人はあまり良くない。奥さんといつも喧嘩をする。あの人は、奥さんにいつも手を出す」
「やっぱり良くないか。女の人を殴るの?何にせよ、それは許されない事だよ」
僕は台帳の氏名欄に載った彼の名前の上から二本の線を重ねた。
彼の名前がボールペンに撫でられる45分前、
僕は彼に質問をしていた。
彼は笑顔のままで質問に答え続けた。
そのやりとりは約30分。
始まりの数分で僕の心は落下した。
全ては終わっていた。
陽射しの欠ける頃合いは、油まみれのテーブルと影で何色かも分からなかった。言葉を弄る必要が無い数十分の間、彼の顔に浮かんだ皺の跡の不快さに僕は耐えられなかった。
その皺は長い時間を掛けて作られてきたものだ。皺の間に寄り添う影にもうんざりした。その影の色味はあまりにも深く見えた。時折、彼の瞳を見つめてから視線を外す。テーブルの方がずっと明るいことを何度も確認する。瞳の色が彼を包んでいる。彼の身体に色が映る。それは首から肩の間で黒く滲んでいた。気の所為だと思いながらも、その色は消えることがない。彼の言葉に染み付いて滲んだ色に意識を奪われた。
『人に色を見る』
僕は人が色付いて見えることがある。
その言葉、声にも色が染み付いている。
白く映る姿を想う。ある人は橙色を纏い、誰かは青と紫が混ざり合う。真っ赤な人は稀にいる。黄色が薄っすらと映えていることが多い。
真っ黒な人というのは僕と相性が悪いのだろう。
考え事をしていると時間が止まる。
「沢山の色が混ざり合う音楽を想像してしまうんです」
そんな話を彼にしようかと思った。
視線を重ね続け、必要の無い話を考えていた。
煙草を吸いながらテーブルを無闇に撫で回す。
僕の世界では、沢山の色が混ざり合う。それでも黒くなったりはしない。彼に話す言葉を選ぶ。それらは現れては消えていった。彼を眺めていると、僕の言葉は逃げて行った。もう何も話したくはない。彼の声も聴きたくなかった。
「何も問題はありませんね」と僕は言った。
そして、終わりの準備をする。
「暗いですね。外が」
