ある村の民族資料館を訪れた。
緑豊かな村の資料館には、石器時代から延々と置き去りにされた人類の生活道具が数多く収められている。
それらの歴史的な諸々に混じって、動物の剥製が数多く配置されていた。
熊や鹿、狸や鳥の剥製。
鹿は、大きな瞳をしている。
その瞳から涙が落ちはしないかと不安に駆られた。
まだ動物達は生きているのではないか、そう思えるほど、その部屋には生き物の匂いがする。
何だか酷い吐き気がした。
理由がまるでわからなかったけれど
「かわいそうに」と僕は彼等に言った。
その理由を探しながら、眺めていた。
生きていないのに、生き物の姿をしているのはどういう気分なのだろう。
心が生きている事を諦めたら、彼等と同じだろうかとふと思った。
人間の剥製は必要ないな。
剥製の様な人間は少なくない。
