洗濯機をまわし続けて、いつまでも終わらない夢を見た。暫く振りに現実を介した夢だった。
十代の頃、僕は色々な夢を見た。夢を見る度にそれを手記に納めていった。過去の手記を見直すと煩雑な夢の記録が無闇に記されている。手記は早朝に書き終わる。その日1日の現実に起こった出来事を書き留めた話はほとんどなかった。
僕は一人でいる事が多かったから、一人ではない時間の記録が時々記憶を奪っていく。
現実を介した夢の記録は、夢と現実を結びつけやすい。
僕は夢で買った靴をクローゼットから探し出そうとする時もあった。
夢の中で恋人が朝食を作る様を眺めていると思ったら、傍でまだ向こうにいる日もある。
ある日、僕は母親と食事に出かけた。
それはどこかのレストランで、何かのコース料理だった。僕はいつも通りに母が何も手につけないから母の分までたいらげた。僕等は終始話し続け、話す事にも疲れてしまう。
僕等は全てが上手くいった事を喜んでいた。
そこで食べる物達には気の毒なのだけど、それが一杯の珈琲でも十分だった。僕等が買ったのは、そこに居るための時間。その機会だけだから。
僕は目覚め、昨日の時間と機会にではなく、食事のあれこれについて母へ礼を言おうと考えた。
携帯電話の履歴を探して、履歴が見つからないから電話帳から番号を探し始めた。
もう正午を迎えていた。
気が付いたのはそれから5分ほどしてからだ。
まだ足元にはタオルケットがだらけていた。僕はそれを顔まで寄せた。
「僕は気が狂ったのだと思った」
そう記してある。
気が狂ったことに対してなのか、4年前に死んだ母親へ連絡をしようとしたことに涙を落としたのかは今となってはわからない。
彼はそこまで書き留めなかった。
