本であれば、小説が好きだ。
特に外国作家の作品。架空の世界だと妄想がしやすいからかもしれない。ガストやファミリーマート、井の頭線沿いの久我山駅とか出てきてしまうと現実感が出て、少し窮屈に感じてしまう。頭の中で知らない街を誤解しながら創るのが僕にはちょうどいい。
ビジネス書籍や自己啓発書にはあまり関心がない。『こうすればお金持ちになれる』とか『10の法則が幸せを呼ぶ』とか、それを世界の全ての人が読んで、その通りに行動するとニュースで目にしたら読むだろうけど。
こうして手に持っているから、小説の話をするけれど、最近は小説もあまり読めなくなってしまった。特に長編が読みきれない。面白いけれど疲れてしまうし、途中でその世界から抜け出して、しばらくしてから帰ってみると世界が様変わりしてしまうこともある。
16歳の僕なら『ライ麦畑でつかまえて』を5回は繰り返し読めただろうし、『裸のランチ』を読んだその足で『罪と罰』へそのまま向かうことができた。
昔から短編が好きな人間ではあったけれど、僕には長編小説を読む才能がやっぱりないらしい。こうも長編が読めなくなるのは本当に悲しいことだ。
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』で有名な言葉と言えば「ギムレットには早すぎる」なのだろうけれど、僕にはその言葉を目の当りにするまでが長過ぎる。
ティム・オブライエンの『世界のすべての7月』にも何だか後ろめたさを感じる。もうすぐこの世界が2月にさしかかるというのに、相変わらず向こうの7月は続いている。
