「ねぇ、何で上見てるの?てか、何でニヤついてるの?」
『いや、しばらく暇だろ?どうやって時間潰そうかなって、思い付いたから試してみようかと。』
「……何を?」
『脳内映画館。』
「は?」
『暇だからスポンジ・ボブの好きな話を思い出して、頭ん中で完璧に再現してみようかなって。8話くらい(頭の中で)観たら着くだろう?』
と旅行した時、恋人に話したのを思い出した。あの冷ややかな目。その日は、上映禁止に追い込まれた。あの目は、笑えなかったから。
それは「懐かしい想い出」というところに収まった暖かい記憶なのだけど、冬になると思い出す。理由はわからない。もう何も気にしなくていいわけだしね。今では、劇場に僕の席がいつだってあるし、その入場を拒むものもない。いつでも、好きな時に好きな映画を上映できる。それがスポンジ・ボブでも。「だから、今は、幸せだよ」とは、残念なことにならなかった。僕は冬の方が気にしなくていいことを、気にしたがるのかもしれないと考え始めている。
ところで、もしその時、口に出した作品が、純粋に映画ならどうだったのだろうか。
「君が好きなヴィム・ヴェンダースの作品なんだったかな……あれ!僕の声が聞こえるの!?僕は天使から人間に堕ちたばかりだけど、もし良ければ一緒に映画でも観ませんか?」とか
「もし、僕が隣で涙を流していたとしても、絶対に止めないでくれ。君の次にこの彼女が好きだ。ボルベールのペネロペ・クルスは君だって大好きだろう?」
とか適当に馬鹿なこと言った後に、真剣にスポンジ・ボブを脳内再生すれば良かったのか?と新宿駅のJR線と京王線の連絡通路内で考えてしまう。全部、冬のせいだと思う。
愛する人が傍に居ながら「暇だから」という軽率な言葉を口にした僕が悪かったのか、それとも、心弾ませ選んだ作品が、スポンジ・ボブだったことに本気でがっかりしたのか、今となっては、実に興味深い謎である。
