「そういえば、ドラムさんとは会っていますか?」
『いや、最近会っていないよ。今度呑む約束をしたから、その日が久々になるね』
「ドラムさんは哲学書を今でも読んでいるんですか?」
『いや、読んでいないんじゃないかな。恋人が出来てからの彼は現実に忙しくなって、一人っきりで人生云々を考える時間が減ったと思うよ。借りっぱなしのドゥルーズも特に連絡なかったから。興味ある?』
「ええ、話してみたいですね」
『一緒に呑んでみたらいいよ。2人は気が合いそうだから。それにしても、どうして哲学書ってあんなよく分からない言い回しをするのかな。僕は言ってる事が全く理解出来ない』
「ああ。あれは例えば誰かに人間について説明しようとした時、人間という言葉のイメージを皆、個々に持っていますよね?それが邪魔をしてしまうんです。哲学でいうところの純粋な単一の人間という存在を定義して、その言葉を使って人間という意味に置き換えます。単一の人間は何と呼んだかな。忘れてしまいました。あとはお偉い先生様方がその文章を高尚なものとして崇めさせる為に、わざわざ難儀にしてるんじゃないですかね」
『成る程ね。すごくわかりやすいや。つまりあれだよね。僕も君も恋人ができると分厚いそれらを見る時間が無くなるから、ちょうど良いってわけだ』
僕は覚醒してから30時間が経っていた。
単一の人間について、少しもわからなかったし、その定義に近づく気にもなれなかった。
掛軸を手にとって、作者の名を確認する。
単一の人間は区別され差別される。男がいて女がいる。絵描きがいて、絵描きでない者がいる。単一の人間は、単一の人間の中で選択をする。
僕も選択をする。愛することは単一の人間である者全てには捧げられない。おかしな話だと思う。僕等にはちゃんと名前がある。
