その山に靄が掛る姿は淫靡だった。
暫く眺めていても飽きない。
僕はその美しい姿を眺め、その姿に触れられないものかと何度か右手の5本を揺らした。
「美しい景色だった」と宿で回想する。
でも、その写真は無い。
本当に好きな景色や愛した人と居る時間の写真を僕はほとんど持っていないな、と思った。
考えてみたけれど、僕は大切だと思える時間を写真に留めたいと思わない人間だ。
それらが大切だと誰かに証明したり、説明する必要なんて無いからだろうか、と疑問に思った。
わからないな。
でも、それが美しかったという事はわかる。
それは美しい時間だった。
愛した人を思い起こすだけで、吹いてもいない風が吹いた気がした。
足の爪先から心地好い痺れが首元までやってくる。
疑問だなんて馬鹿らしい。
僕の中に記録されたそれらは、誰にも教えたくない。
本当はそういうことだ。
足下の風は僕のものなんだ。
